トコヤのナゾ                    
      床屋さんのナゾを明かしてみました。「そうおもえばぁ・・・。」「そうだったんだぁ・・・。」
      と思っていただければ、幸いでございます・・・。
      
      理容店の看板の「・白・」のナゾ・・・・・

      理容師がかつて外科医を兼ねていたことに起因しています。
      中世ヨーロッパでは、理容師の仕事は髪のカット・ヒゲのシェービングすることにとどまらず、
      歯の治療やキズの手当てまでを行う「理容外科医」という職業でした。7・8世紀には、既に
      職業化にしていたそうです。その当時、治療法のひとつに「寫血(しゃけつ)」がありました。
      これは「身体の悪い部分には悪い血が集まる」という考え方から、その部分の血を抜き取る
      という治療法でした。治療に際して患部を切開して血を抜き取る際に、患者にを握らせ腕
      を固定し、そこを伝わって受血に落ちていくようにしていましたが、施術後に血がついた棒を
      そのままにして置くのは衛生上好ましくないことから、その棒を「赤く塗って」使用するように
      なりました。その棒は「Barber`s pole=理容店の棒」と呼称されるようになりました。
      また、治療が終わった後、洗浄したその棒と傷口に巻いた包帯を店の軒先に干していたとこ
      ろ、風に吹かれてその包帯が寫血棒(しゃけつぼう)にらせん状に巻き付き、バーバーポール
      が転じて、理容店の看板・サインポールの原型になったと言われています。
       後に1745年イギリスで理容師のユニオン(組合)と外科医のユニオン(組合)が分裂した際に、
      外科医は「赤・白」に理容師は「青」を付け加えることが定められたため、理容店の看板が、
      今日の「赤・白・青」の3色になったと言われています。この他にナポレオンが最終敗戦をおった
      ワーテルローの戦いで、野戦病院の入口にフランス国旗を旗棒に巻き付けたものが、また
      はじまりとの説もあります。


・ 理容店を「床屋・とこや」というナゾ・・・・・。

      日本の「理容店・とこや」は昔「髪結職」であった。
      亀山天皇の頃(1259-74)京都北面の武士「藤原晴基」は御預かりの九龍丸宝剣を紛失したこと
      に責任から浪人し、子息「采女亮(うねめのすけ)」と共に、当時蒙古襲来で風雲急を告げる下関
      へ下り、往来の武士を客として髪結業わ営み続けた。
       采女亮が下関で髪結いの仕事をはじめたのが、『床屋』のはじまりとされています。采女亮が
      開いた店には、床の間が設えられ、そこには亀山天皇を祀る祭壇と藤原家の掛け軸があったこ
      とから、人々は「床の間がある店」から「床場」そして「床屋」と呼ばれるようになりました。

    
 ・ 東西・理容店の呼び方のナゾ・・・・・。

      東西の理容店の呼び方は滋賀県を境に西では「散髪屋」東では「床屋」になっています。
      「関東では古い名前に粋を感じ=床屋。関西ではくだけた呼び方を好んで=散髪屋」とされています。
      散髪とは、明治の断髪令以後「散(ざん)切(き)り」からきています。

     ・ 床屋の専門用語 「料金編」

      理容業界などで言われています。数字に対する専門用語があります。
      
      数字 1「ヘイ」 2「ビキ」 3「ヤマ」 4「ササキ」 5「カタ」 6「サナダ」 7「タヌマ」 8「ヤワタ」 
          9「キワ」


      と数字を略して使用しております。特にお会計時など、技術者と受付(会計)する店員同士で使用して
      います。お客様には数字読みで、店員同士では専門用語読みで、お客様と内輪を一緒にしないという 
      ことからきているようです・・・・・。
      使い方例・・  金額 3500 円   35 で 「ヤマ カタ」  メイン数字だけで後は省略。

                        ・・・・・まだまだナゾがありそうです・・・・・・・。  

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